強者と弱者がいたとして、私が属していたいのは弱者の方だ。
強者と弱者がいたとして、私が属していたいのは弱者の方だ。
正しくは、強者として、弱者の世界に浸っていたい。
つまり、弱者の振りをした強者でいたい。
強者とは?弱者とは?
それは力を持つ者と持たぬ者である。
では力とは何か?社会の中で力とされているのは単純な体力や身体能力の差だけではない。
知識、権力、名声、聡明さ、お金、人脈、社交性、外見…
そんな諸々が「力」として挙げられる。
けれど。
もちろん大抵の人はこういった「力」を求めている。私だって、強者と弱者とどっちになりたいかっていったら強者に決まっている。
けれど。
生きていくなかで、味が出るのは、深みが出るのは、奥行きがあるのは、
弱者の方なのではないか?
求めるけれども、得られない。
そこになんともいえない葛藤だとか苦悩が生まれる。この気持ちの襞が、もうほんとになんともいえず味わい深いのである。
痛みを知るものの優しさ、というものがあるでしょ?
それが、いま必要とされているものなのではなかろうか。
だから。
私は痛みを知っている人間に囲まれていたい。つまり、優しい人たちに囲まれていたい。
つまり、強者でありつつも弱者の振りをして弱者の集団にいたい。
そうして、その集団の他の人たちもまた、弱者の振りをした強者なのだ。
つまり、痛みのわかる強者だ。
強者でありつつも弱者である自分を内面に抱えた人たち。
そういう生温くて易しい世界の中で生きていきたい。